多様な人生と人との交差

みなさん、こんにちは。

南極組のきくぞーです、今回はたびるに行ってきてとても思うことがあったので、好きな文調で書いてみるっていう挑戦と一緒にブログを書いてみたいと思います

変な口調になってるところも多々あると思うけど、ちょっと時間が空いた時にでも読んでくれたら嬉しいです

始まり

旅にいった
心動かされた旅の後は、ふとした瞬間に旅の思い出が溢れたインクのように日常に染み込んできちゃう
どんな素敵な旅をした後でも、次の日は意外に普通の日がやってきたり
自分が変わってるようで、意外と変わってなくて、でも何かが確実に変わってるんだろうなぁとか思いながらも、課題とかが押し寄せてきて、、

これって自分なりに何か伝えたい思いが生まれて、
でもそれが迷子のように行き場を失ってるからなのかな、とか思ったりもした

だから今回は個人的な想いを整理してみて、言葉で外に出してみて、それがさらなる誰かの気づきにつながればいいなと思ってブログを書き始めた

不安定な釣り合いの中で、

“あのメンバーでのあの経験”って、
一人一人の思いがけない選択の上で成り立っている

いろんな方達が、理由を持って飛び込んでるセカダイだけど、
その選択が必然かと言ったら全然そうじゃなくて、
聞いてみると入る理由と同じくらいの入らない理由もそこにはあったりした

過去からみたら今につながる行動って一本の線だけど、今から未来の自分へは無数の行動の線が伸びてるはずで、
その中から一本の線を絶対選び取ります、なんて自信は多分誰にもなくて

じゃあもしも今回、この子がいなかったらとか・入ってなかったらとか・自分が参加してなかったらとか、って考えたら、
SFみたいな並行世界がたくさんあってもおかしくなかったんだって、まるで今の自分がいなくなるみたいでちょっと怖くなって
それはそれでまた違った面白さがあるのかもだけど、、

そもそも一回限りのこの人生において、この経験が”ある”ことって、
過去にも未来にももう二度とない一回性のものだと気付かされた

人の人生と人生が交差した瞬間って、とんでもない奇跡で
本当に、日々って当たり前のような顔で押し寄せてくるけど、とても不安定な釣り合いの上で成り立ってる子なんだ
と夕日を見ながら思ってみたりした

有り難い、

人は何かが“無い”ことには気づけますが、何かが“ある”ことには気づけません。

『世界は贈与でできている』 近内 悠太

じゃあなんで、こんなことを思ったかというと、ありきたりな言葉ではあるけど、
自分が今まで見てきたような人生とか歩んできた道とは全く違うことをしてきた人と会うことで、
今まで自分が生きていた世界に出会い直せたから
そんな人と会える機会の素敵さに気づけたから
じゃないのかなって、そんな気がした

他の人にとっての「ある」は、自分にとって「ない」だったり、その逆で他の人の「ない」が自分にとってたまたま「ある」だったんだなと気付かされて

その驚きがあったからこそ、
人生に散りばめられている忘れてしまっていた「ある」
に気づけた
まるで小さい頃の写真をたまたま見つけて、
なんで忘れてたんだろうって思うような大切な記憶と触れ合った時のように
出会うことができた、そういうふうに思う

自分が大好きな、ありがとう、という言葉、
この旅にはその言葉がとてもピッタリだと感じた

まさに、「有る」が「難い」ことへの感謝
この旅が”ある”ことへの感謝
このメンバーが”ある”ことへの感謝
この人と人との出会いが”ある”ことへの感謝

もしかしたら、この「ある」もいつか忘れてしまうのかもしれないけど
でも忘れていない、この今の瞬間だけは、ちゃんと心のポケットに大切にしまおう

正真正銘、一度限りでの人生で、たまたま出会えた素敵な人たち
そして何よりも、こういうコミュニティを作って色々な人に素敵な機会を贈ってくださっている、まさとさんやDさんみたいな人たち
そんな人たちへの感謝を。

そしてそれらの感謝が
またどこかで 世界のどこかで
今日から踏み出す チカラに代わって

行きますように
(世界をまWORLDの歌詞を少しいただきました)

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