いつのまにか夢が叶っていた

20歳の頃、僕は初めての海外を経験をして、そこから「旅」というか、「やりたいこと」をやる!ということに目覚めた。

サッカーを辞めてから、生きる目標がなくなっていた僕にとってほんの小さな「輝き」は、何よりも大切にしたかったことなのかもしれない。

大学を休学して、フィリピン留学、ストリートチルドレンのボランティア、学校建設ボランティア、世界青年の船など、夢を叶えたら次の夢が芽生えてくる連続。

僕の人生はそこからずっと同じだ。

22歳時に、大学の単位は取り終わっていて、あとはゼミだけになったとき

当時の教授から

「あなたは、もっと羽ばたきなさい!」そう言ってくれて、さらに僕を羽ばたかせてくれたのが、教授だった。

ゼミは出なくても、僕が旅をして帰ってくると、教授の代わりに授業をする。

それが僕のゼミの課題になっていった。

大学の普通の授業は、あまり記憶にないけど、ゼミは違かった。

その違いは、教授はちゃんと生徒の顔と名前を覚えて、一人一人と向き合ってくれていたことだと今になって思う。

生徒の悩みや夢を聞いて、変化するための情報やアクションを渡してくれる。

僕が大学で大きな変化ができたのは、大学の外に飛び出したこと。

大学の教授が僕を理解してくれて、安心できる場所を作ってくれたことだった。

僕はそこから言葉には1度もしてないかもしれないけど、心のどこかで「いつか大学の教授になりたい」そう思っていた。

そこから僕は就職して、世界一周して、世界一周学校を作り、そして、世界一周大学を今年作った。

それは、まさに僕が22歳の時に体験したような場所なのかもしれない。

僕が大学生の時に嬉しかったのが、日本中に友達ができたことだった。

留学、世界青年の船などは、まさに友達の宝庫だった。

情熱を持った学生、社会人の人と出会い、未来がどんどんワクワクしていく。

日本中の大学生という横軸、社会人という未来への軸と繋がれたことが、僕の世界を広げてくれた。

世界一周大学は、それを全部詰め込んだ「旅の価値」を凝縮した大学にしたかった。

今思うと、コロナは僕にとってベストなタイミングだったのだと思う。

旅に行けない今、そういった情熱を持った学生、社会人が繋がる場を作る。

大学の教授になってやりたいと思っていた場を、僕は自分自身でいつの間にか創っていた。

夢を叶えたい!と思って行動したわけじゃないけど、「これいいな!」と思うことをしていたら、いつの間にか夢が叶っていた。

あとは、ここから「みんながどんどん羽ばたいていく機会」と「安心して戻ってこれる場所」を創ること。

そして、同時にもう一つ夢も叶っていた。

僕が20歳の頃に、フィジーで出逢ったのがゆーまさん。

世界100ヶ国を旅して、世界青年の船に乗り、フィジーに辿り着いたゆーまさんは、僕にとってはワンピースでいうと、グランドラインを回ってワンピースを見つけて帰ってきた海賊王。

その話は全部が漫画のようで、僕はワクワクが止まらず、帰国してすぐに休学届けを出して、世界へ飛び出した。

そして、いつか僕にとってのメンターであるゆーまさんと一緒に何かしたい!

そう思っていたことが、世界一周大学として叶えることができた。

世界一周大学のメンターの講義の第一回を飾っていただき、20歳の頃の僕のように、みんながたくさんの衝撃をもらってるその姿を見ていて嬉しかった!^^

20歳の頃から変わらず、僕はこれからもいつの間にか夢を叶えていくような

世界を冒険して感動と出逢い、自分感動したことを世界に創っていきたい。

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