4回目のタビる。その振り返りをしたい。自分の気持ちをそのまま書こうと思う。
目次
初日
迎えたタビる。朝は8:00に起床。「あっ、ちょっと遅刻??」とも思った。
なぜなら、リュックは空っぽ。水筒も空っぽ。
何も準備をしていないのだ。
実は、昨日の夜に準備しようと思った。思ったのに、思っただけのまま睡魔にのまれた。
という訳で、朝30分で支度をした。
そして、京都に向けて出発。
京都までの経由地は2か所。
最初は、一緒にタビるに参加するメンバーの家。
自分の車をかっ飛ばした。
そして、2か所目は名古屋駅。
そこであと2人を乗せて、いざ京都に向けて一直線。
でも、名古屋エリアを脱出するのにあたふた…。
車であまり名古屋駅に来ていないことがバレた(笑)
さて、車の中では3時間ほどノンストップトーク。
お互いの話、これからのこと、セカダイ卒業後のこと、、、
歩きながら駅近の店まで喋る時のように、瞬く間に時間が過ぎていった。
気づけば、京都駅前。
人ごみの中、みんなを探したが、すぐに見つけられた。
いつもの空間。雰囲気。人たち。笑顔。
すべてが融合して、集合体「セカダイ」をつくっていたから。。
みんなに会った瞬間、ホッとした。
京都内を旅する京都クエストでは、京都フードおかげで胃袋に笑顔をもたらし、メンバーの笑顔も激写。
フードでは、2時間近く待った。
けど、料理を口に入れた瞬間、待っていたことなど忘れてしまった。
夜には、他のグループのタビもシェアし、京都のいろんな色を見ることができた。
翌日には、タビのメインイベントがあるため、この日は大人しく……寝なかった。
外で、八つ橋を口にしながら、語った。
そろそろ体が冷えてきたので、就寝。
寝たのは、ベッドに入って1時間後。それまでは、YouTube Time。
2日目
体験場所までは車で移動。約1時間ほどの山道。
着いた後、可哀そうな光景を目にした。
鶏が狭い籠の中に押し込まれ、そのすぐ横には、丸太にナイフが刺さっていた。
まさに、処刑待ちの処刑現場。
胸が苦しくなった。
「愛着持たない方がいいかもね~」
その言葉に頼るしかなかった。
いよいよ、ニワトリの首を切る時が来た。
自分の手で体験したかったが、どうしても一歩が出なかった。
血を見るのが苦手だから。
でも、いただく命であることを思い出して、血がすべて流れ出るまで見届ける決心をした。
できた。
見届けられた。
次に、毛抜きをした。
骨と皮だった。
自分の体を触っているみたいだった。
自分も骨と皮しかないから。(笑)
毛抜き中のニワトリの表情が気になった。
心地よさそうなのか、自分を開放しているのか、、、
翻訳こんにゃくを食べて、ニワトリの気持ちを聞いてみたい。
誰か、ドラえもんを作ってくれ(笑)
せめて4次元ポケットを!!!
お昼ご飯は、今まで以上に食材の背景を考えながら口に運んだ。
食堂のおばちゃんが過去に、「お残しは許しまへんでーーー!!」って言っていたのを思い出した。
それは、「素材に感謝しなさい」という意味だと分かった。
小学生の時の俺に怒ってほしい(笑)
ラストは、ニワトリの解体。
難しかった~!!
でも、きちんと解体してあげたいという思いから、包丁を握った。
がんばった。
解体した。
でも、包丁の持ち方で、
料理ヘタクソがバレた(笑)
料理しよーーっと。
食材をおいしく調理して食べることが、いただいた命をいただく僕たちの使命だもんね!
でも、自分の思考は乱された。
「命って何?」
この問いに対する自分の答えが狂った。
命に対する考え方が無意識的に変わったのかな?それに自分は気づいていないだけ?
分からなくなった。
でも、この体験がいつか意味をもち、色づくときがくると思う。
そう期待して、再び宿に向けて車を走らせた。
宿では、メンバーが腕を振るってくれた。
頼った。
おいしかった。
肉の歯ごたえがむしろ、生き生きとしている証のようにも感じた。
その後、車を走らせること3回目。
グループでクレープを堪能。
まぁ、これが自家用車で移動できるメリットかしら(笑)
買い出しもしっかりして、宿へ。
Cheers!!
「セカダイ」というテーマでいろいろ語った。
酒とつまみがおしゃべりを加速させた。
酔いも回りながら、話も進んだ!!
楽しかったなぁ~!!
またみんなと語りたい!!と思った。
結局、その日は朝方4時まで話した。
これぞ、THE 大学生 !!って感じ(笑)
自分の考えがいろいろ行き交った2日目だった…。
最終日
基本的にはノープラン。
全体でシェアをする時間。
みんなそれぞれ感じたものがあって、「確かに!」と思うばかり。
シェアの時に、いつも自分の頭の悪さを感じる。
みんな言語化が上手。でも自分は下手。
だから、少しでも自分の考えていることを伝えられるように努力したいと改めて思った。
頭に残った言葉がある。
それは、「人は抵抗があるけど鶏を切っても大丈夫だと感じてしまう理由は、鶏と人間がかけ離れているから」。
確かに。同じ人間の首切ってと言われたら、、、かなり抵抗感がある。
自分の感覚を表してくれた言葉だった。
でも、鶏と人間が違っているからこそ、「命って簡単に奪えてしまう」とも思った。
その時、体験先の人が言っていたのを思い出した。
今は、首を落とす機械があって自動で首を切れる仕組みがある、と。
まったく知らない世界のことを教えてくれた。
首を切るときに、人間がやるか、機械がやるかで変わるのか。
要検討。
モヤモヤのまま解散。
帰りは、みんなを見送った後で、ラーメンを頬張った。
また一人乗せて、ましゅタクシーはセカダイロスを増やしながら愛知に向けて走り出した。
ましゅ
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