セカダイへの感謝、そしてこれから

はじめに

セカダイ生にも馴染みの愛知県のある沖縄料理店にて。

こんにちは。のぶです。卒業発表を終えてから初めてセカダイのブログを書きます。当然、全てのプログラムを終えた後なので、たくさん思い出はありますし、これまでのセカダイでの出来事について書きたいことは山ほどありますが、あえて、そこには触れずに未来志向で、これからのことを書こうと思います。

私は、セカダイに入って得たことが大きく3つあります。そして今、その3つを原動力の軸として、これからの人生を歩んでいこうと思っています。きっと、この3つを原動力にした人生は、楽しいものになると思っています(とは言え、具体的なことは決まっていませんが)。

その3つとは、

1.世界の広さ、そして面白さを知った

2.自分の中にある「欲求」を理解した

3.波長の合う仲間がいることの大切さ

です。一つ一つ書いていきます。

世界の広さ、そして面白さを知った

奥に見えるのがカオハガン島。遠浅瀬のため船を降りて歩いて上陸。

セカダイに入って、「カオハガン島」という島があることを知りました。当然、私は、人生の中でその名前を聞いたことは一度もありませんでした。試しに、偶然出会ったフィリピン人や、フィリピンにルーツがあるハーフの日本人に聞いたことがありますが、彼らですら知らない小さな島です。私は、そんなフィリピン人ですら知らない小さな島に魅力を感じ、知った翌日にはチケットを手配し、その島に行きました。

そこで見た景色には、日本では決して見ることのできない世界が広がっていました。日本と全然違うなぁとも思ったし、仮に日本の中で生きづらさを感じている人がいたとしても、生きられる場所はまだまだ日本の外にたくさんあるぞ!とも思いました。

海外に行くと、場所によっては、衛生上、あまり好ましくない状況に出くわすこともあります。ある時は、蝿がブンブン飛んでくる中、ご飯を食べたこともありました。日本だと、そもそも蝿がいないので1匹でもいたら血相を変えて蝿を退治するところですが、自分は、その状況を受け入れました。蝿が10匹以上いるのに、いちいち退治していたらキリがないと思い、受け入れたのです。あの瞬間、確実に自分の中で、何かが変わったのを感じました。

島で出会った演奏家の方と。

他にも不便なこともありました。島で出会ったギターやベースの演奏家に、ギターを借りてセッションしたときのことでした。島には、コード表も、音程を整えるためのチューナーも、ギターの音程を変えて簡単なコードで演奏できるようにするためのカポという道具もありませんでした。私は、日本ではそれらを使っていたので、彼らに、それがないのかと尋ねると、「そんなものはこの島にはない」との返事でした。

彼らの様子を見ていると、耳で聴いた音を、独学で、コード表も、チューナーもカポもない中で弾いていたのです。チューニングにしても、耳で聴きながら、「あぁ、この音だね」などと言いながら音程を整えていたのです。

不便だからこそ、人間の能力が拡大しているのを感じましたし、一方で、自分の能力が便利さゆえに縮小しているのを感じました。そう考えると、不便な国でしか出会えないような力を持った人たちが、まだまだ世界にはいるのだと感じ、ワクワクしました。

それに、彼らは、不便だからこそ、便利なものに感謝しているようにも見えました。そういった喜びや嬉しさや、感謝やワクワクが、この世界にはまだまだあるんだなと思えました。

こういう思いや、それにともなって生まれた考えは私にとって財産であり、そのキッカケを作ってくれたセカダイには感謝しています。

自分の中にある「欲求」を理解した

島で出会った子どもたちと。

フィリピンに行った私は、小さな幸せや、小さな喜びこそが、私の人生の幸せ、喜びだと感じるようになりました。「小さな」というのは、「日常に起こる些細なこと」のことです。島の子どもたちに、折り紙で作った飛行機を渡したら、それをずっと飛ばしていました。よく飽きないなぁと思うくらいに楽しそうに。

数年前までの私は、大きなことを成し遂げたいという思いが強かったです。教育に携わっていたので、仲間たちと「日本の教育を変えるんだ!」「社会を良くするんだ!」などと声高に叫んで、それに向かって突き進んでいました。それによって価値ある行動を取れたなぁと思うこともたくさんありましたが、一方で、大きなことを成し遂げた時にしか喜べないような人間にもなってしまっていました。

いつしか、散歩中に足もとに咲いている花の美しさや、空の青さの清々しさにすら気づかないような人生を歩んでいました。それどころか、散歩の時間すら取れないくらいに忙しく、そして疲弊していました。

「日本の教育を変えるんだ!」と声高に叫んでいる自分が、足もとに咲く花の美しさすら感じられない。それは、とても危険なことだな、と今の私ならわかります。教育にしろ、人生にしろ、幸せは身近なところにあるはずなのに、大きなものにしか目がいかず、身近な人たちの幸せすらおろそかにしてしまう。それは、私の人生を今後どうしていきたいか?という視点に立ってみても、大きな気づきを与えてくれました。

まずは、自分が小さな幸せを毎日感じること。本当にやっていきたいことはそれだけだなと気づかせてもらえました。

波長の合う仲間がいることの大切さ

鶏の屠殺体験をした京都にて仲間たちと。

セカダイに入ってからというもの、初めて話す人が一時的に増えました。そりゃあ同じクラスだけですら50人ほどメンバーがいるので、最初は毎回「はじめまして」からスタートです。私の人生を振り返ってみると、そうして出会っても、波長が合う人、合わない人が結構、分かれていたなと思います。しかし、セカダイでは、不思議と話が合う人が多く、とても心地良かったのです。

そして、そうした安全基地的な「波長の合う仲間が自分にはいるんだぞ」と思える心理状況がベースにあるからこそ、皆、自分の人生の中に、チャレンジをどんどんつくっていけるのだなとも思いました。

何か、失敗をしたとしても、きっと、彼らに話せば励ましてくれるだろう、という安心感や、すでにチャレンジをして失敗を重ねてきたメンバーも多いので、共感してもらえるという安心感があるのは、とても大きなことでした。

自分自身も、誰かにとってのそういう存在になれていたら良いな、と思えるようにもなれました。

世の中、強い人間ばかりではないし、自分自身もたくさん弱い部分をもっています。だからこそ、その強さも弱さもさらけ出すことが大事だし、いつでも応援してくれる仲間がいることで、その弱い部分も愛せる気がしています。

そして、これからの人生で

私の大好きな国、ニュージーランドにて。

このようにして、自分は大きく3つのものを手にしました。世界の面白さ、自身の欲求、そして仲間の存在。自分の中で、人生を楽しめる条件が整ったのを感じました。そのベースがあるからこそ、これからも挑戦していくことができます。

逆を考えてみるとかなり怖いです。世界に面白さを感じられず、欲求もなく、仲間もいない、、、その状態で挑戦していくのはまず難しいでしょう。でも、自分には欲しかったものが全てが揃いました。

今まで生きてきて、いろんな人との出会いと別れを繰り返し、そして、自分の中にある興味や欲求とも出会っては別れてきました。しかし、今回の出会いは、すぐに別れが来るようなものではない気がしています。私が大切にしていきたい「小さな幸せ」や「小さな喜び」は、小さくて大きいからです。小さいけど、感じ取れる人にとってはとてつもなく大きな財産だからです。その財産が世界中に転がっていると考えると、人生が100年あっても足りないくらいに思えてきます。

自分の人生は、死ぬ瞬間まで、この世界を面白がっていたいと思います。90歳を過ぎても「あのじいさん、すげーな。90歳すぎてるのに、まだ海外旅行とか行きたがるんだよな。もうそろそろ大人しくしててくれないかな。」と言われるくらいには、歳を取っても自分の興味や欲求に正直でありたいなと思います。

そんなことを思わせてくれたセカダイにとても感謝しています。そして、セカダイをつくってくれた、まさとさん、担任のDさん、けいすけさん、そしてインターン生と、3期生である同期のみんな。全ての人に感謝です。

本当に、本当に、ありがとうございました。

そして、また世界のどこかで会えるのを楽しみにしています。

2024.1.26 セカダイ3期生 のぶ

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