やっほ~!もうすでに、ほろよいがジュース化している、ましゅです!
9月になり、みんなはセブで、自分は子どもたちとの生活がスタートしました。
夏休みの体験から生かせることをやろうと決めました!
失速した時に見返せるように書いておこうと思います。
目次
この夏から吸収したもの
この夏は、去年の夏と比べて、1000倍以上も動いている気がする。
それくらい、充実しすぎた夏だった。
セカダイ生と初対面、初タビる、秩父。
そこで、全力ではしゃいだし、話した。騒いだ。
だから、自分が少しだけ明るくなった気がした。
それから、セカンドタビる、富士山。
上り下りともに筋力的にキツイ時もあったけど、楽しかった。
頂上でコーヒー飲んだり、写真撮ったり、ハガキ書いたり、、、いろんなことをした。
そこで感じたのは、
「やりたいことは、そこでその時にやろう」
ということ。
絶対に後悔すると思うから。
過去もそうだった。
やりたいけど、まぁやめとこ。だけど、やっぱり、、、やっとけばよかったなぁ…。
そう思うこと、実に100回以上(笑)
だから、余計に後悔するという気持ちが強かった。
富士山を境に、気持ちもそうだけど、行動も少しずつ変わるときが増えた気がする。
自分がやりたいと思うものには、手を出してみる。
行きたいところには、行ってみる。
今までの自分だったら「止めとこ。」って思うこともやってるなぁ、、、
って我ながら感じた。
ここまで自分から動いたことはなかった。
だから、なんか嬉しかった。
ワクワクも増えた。
もし、6年前の自分に一言言えるなら、、、
「なにやってんだ、おめぇ。もっと動けよ!」
って言いたい。
過去は変えられないけど、未来なら変えられる。
だから、今まで動かなかった分、動こうと思う。
教育に何を生かすの?
セカダイから得たものを、教育に生かそうかなと思う。
最初は、そんなぼんやりとした考えだった。でも、富士山後にすぐにはっきりとした。
それは、
「やりたいことは、やりたいと思ったときにやろう」
ということ。
2学期の始業式。その後に自分のクラスの前で語った。
「これやってみたいなぁ、、、と感じたことをその時にやらないと、後悔するし、この先それをやれる時間を生み出せるとは限らない。だから、結果的にうまくいかなかったとしても、やってみた方がいい。」
ここまで、自信をもって語れたことはなかったかも。
それくらい、なぜか胸を張って言えた。
ただ、間違いなく言えるのは、それは、
セカダイ生のおかげ。
その後、2学期の方針を伝えた。
「… だから、みんなのやりたいことをどんどん出してほしい。クラスでやることでもいいし、数人でやりたいことでもいいし。これやりたいけど、まだ内容がぼんやりとしていても、相談してほしい。一緒に考えて実現させよう!!」
企画書を子どもたちに書かせ、それをもとに中身を詰めていく方針にした。
実際、学校は毎日忙しいし、時間は限られているし、、、
どれだけ子どもたちの「やりたいこと」を実現できるかは、正直、、、
分からない。
でも、できるだけ実現させるつもりだ。
そこまでする理由は、やらないと後悔することの他に、もう一つ理由がある。
それは、学年。
今、4年生の担任をしている。
4年生は自分たちで考える幅が広がるし、ある程度自分の思いを口に出せる。
しかも、来年は委員会など、学校の仕事(役割)も入ってくる。
そのため、4年生は、割と自由な時間がある。
この時期に、やりたいことをやらない手はないと、自分は思った。
実際、今ある企画が動き出そうとしている。
それを応援したい。
やらないと、次に生かすところも見つからない。
いきなり「挑戦」というより、「お試し」という感じで、企画をしてほしいと願っている。
それを繰り返していくうちに自信がついてくる。
いずれ自分たちがやったことがないこともやってみたい、という「挑戦」につながっていくと思う。
早速、子どもたちからは、
「先生、ハロウィンパーティーやりたい」
という声が。まずは、子どもの企画案を楽しみに待ってみようと思う。
「学校の決まり」と「やりたいときにやる」は相反しているかも
時々、そう思うときがある。
やりたいことをそのときやるには、当然、準備がいる。
準備するものの中に、家から持ってくるものだってある。
それについて、モヤモヤしていることが…。
例えば、7月の終わりに、クラスで夏祭りをやった。
そのときに、ブースの準備として必要だったため、折り紙やペットボトルなどを家から持ってきていた。
それらは、
学校の教育活動において、不要なもの
である。
したがって、それは学校のルール違反をすることになる。
「図工で使うから」といえば、逃げられるかもしれない。
が、果たして本当にいいの?と自問する。
ある意味、今の日本の学校環境に反しているようにも感じる側面がある。
でも、人から何か言われても、
「やりたいことを思い立ったときにやる」
この考えは、崩さずに行きたいと思う。
もちろん、学校の方針には従う。
ただ、それだけで子どもにとっては、満足するものにはならない。
自分が学校の方針に反しない限り、校長は自分を退けさせる権限は、ない。
そう言うと、堅苦しいが、それくらい自分は、今回は強い意志をもっている。
セカダイを教育に生かせるか、その答えは…
すべては生かしきれない。
それが、「今」の学校教育だと思う。
少しずつ生かせるものはある。
例えば、「冒険」。「挑戦」。
学校は、子どもを預かる立場として、子どもの考え、行動、友達関係、命に敏感だ。
それは、なくてはならないため、自分も意識する。
ただ、それだけではない気がする。
「かわいい子には旅をさせよ」ではないが、もっと「挑戦」という旅をさせてもよいと思う。
学校では、「論理的思考力」が重要視されている。
そのための教育法の一つに、「挑戦する」があると思う。
例えば、うちのクラスでは、ものづくり体験のイベントが立ち上がっている。
その中で、紙は何枚いるか、教室の机はどうするか、時間はどれくらいかけたいか、、など、様々な視点から考える必要がある。
そして、それをクラス全員に提案する必要がある。
分かりやすく順序立てて説明するときなどに、論理的思考力が働く。
それ以前に、いろんな視点から「~だから、~なる」と考えることも、論理的思考力を身に付けることにつながるのではなかろうか。
それが、今求められている「生きて働く思考力」になると考える。
最後に…
随分と長くなってしまった(笑) 子どもたちに思考力をつける一つの方法に、
子どもたちに方針を示して、あとは彼らに任せる
ということ。
セカダイの人たちからヒントをもらい、今それを実行している。
子どもたちが試行錯誤して取り組む姿を期待したい。
それから、少なくとも自分が受け持つ子どもたちには、学校で旅をさせたい。
家ではムリなことが多いから。
「挑戦する」という学校における旅を実現させるため、自分も「挑戦」していく。
ヒントをくれたセカダイのみんな!ありがとう!!!
これからも、よろしくね~!!
ってことで、永遠に書いていられるのでここまでにしよっと。
ましゅ
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