人生には、近道も寄り道もない。

たろうです☺️

人生は選択の連続。

あの時、こうしておけば。。。

あの時、あっちを選んでおけば。。。

そんな瞬間が、何度も訪れてきました。

でも、最近思うんです。

「どんな選択をしても、自分の道は一本道で。」

「そもそも、他の選択肢なんてなかった。」

今日は、そんな話をしたいと思います。

幻想に囚われない。

僕はずっと“ないものねだり”をしてきました。

「あれがあれば、、、」

「これがあれば、、、」

そんな風に、うまくいかない理由を

いつも自分の外側の環境に求めてきて

“自分のせいじゃない”

心の奥底で自分は悪くないのだと、自分が傷付かなくていいように言い聞かせてきました。

だから、合わないと思った仕事や人や場所との関係をすぐに絶ってきたし、逃げてきた。

一見、自分の直感に素直に従って行動しているように見えるけれど、その行動の源泉には

いつも「不安、恐れ、焦り」があって。

ネガティブな感情で動いた時ほど、そこで生まれる出来事や結果も自分が望むものではないことが多かったように思います。

それは、いつも「ここではないどこかの理想郷」を探し続けているから、

自分が現実に生きている“今”とはかけ離れた“過去”や”未来”に意識が向いてしまっていて、自分ではその事に気づけてなくて、目の前で起きる出来事や自分自身の行動自体に実が入らなくなってしまっているから起こることでもあります。

スマホやSNSの普及によって

「他人の成功」「好きなことで生きていく」、そんな自己啓発本などの文言が溢れかえってしまっている現代だからこそ、自然と自分自身が「不安、恐怖、焦り」を感じやすい状態に晒される。

「あの人はこんなにお金を持っているのに、自分はどうして、、、」

「好きなことで生きていきたいのに、自分はそもそもなにがしたいのか、、、」

そんな心の隙間を縫うように、日々何かに依存するようになる。

ビジネスも、一見「人の為」という原理原則で成り立っているように見えるけれど、そのアプローチ方法は「不安、恐怖、焦り」の状態、依存しやすい状態を作った上で、それを解消する為の手段を提供するような形のものも多い気がします。

新製品や新サービスを次々と生み出し、あらゆる媒体で宣伝、広告を打ち出しては、人の購買意欲(不安)を掻き立てる。

「いかに買わせるか」

「いかにサービスを享受してもらうか?」

あの手、この手を使って人間の生理的/本能的な習性にも訴えかけてくる日々の誘惑には、ほとんどの人が勝てない。

しかし、その全ては”幻想”であると僕は最近になって強く感じるのです。

あらゆる情報が交錯する現代。

けれど、本質は至って「シンプル」

そのことに気付いているか、そうでないかで無限ループから抜け出せるか、抜け出せないかが決まってきます。

一本道。

かくいう僕も、“ないものねだり”のループから抜け出せているかといえば、そうでもなくて。

日々の中で、「不安、恐怖、焦り」の状態で考えたり、行動してしまうこともあります。

でも、自分がどんな状態にいるのか?

それに“気づける”ようにはなってきました。

都会の喧騒から離れて、

画面の情報から離れて、

人との関わりからも離れて、

一人で過ごす時間が増えたことで

「自分の人生のコントロール感」が増して。

今まで「あるはず(期待)」と思っていたモノ/コトが、「無い(幻想)」ことに気付き始めた。

何をしてもいいし、何もしなくても良い。

ただ、今の自分が何を感じているかに気づいて、その自分を否定も比較も批判もなく、認める。

そうすることで、「自分自身に価値を感じる」ことが出来て、そもそも他人や外側の環境に支配される必要がなくなる。

自分は、自分。周りは、周り。

そんな感覚が日々過ごす中で生まれていく。

すると、

今まで自分が辿ってきた道(人生)というのは、さまざまな“可能性”は存在しても、自分がどんな状態で選んでいたとしても、「一本」に繋がっていたことに気づく。

だから、最短距離で自分が望むような世界に辿り着くに人もいるし、長く迷走の期間を経て辿り着く人もいる。

でも、その迷走の感覚すら自分の「捉え方」が変われば、必然なのだと実感できる。

頭で理解するというよりも、

全身で腑に落ちた時にこの状態に辿り着く。

そんな一つ一つのプロセスを味わってきた中で、改めて「どう生きるか?」を考える。

どんな状態で、人と接するのか。

どんな距離感で、場所や情報と接するのか。

その一つ一つを日々の中で、自分の感情と向き合いながら「思い込み」を外して観察していく。

永遠にクリアな意識で生きられるとしたら、それはいわば「悟り」の意識である訳だけれど、

そこまでいけなくても、日々「不安、恐怖、焦り」が出てきたら、否定することなく感じて、「あ、また出てきたなぁ」と少し愛おしさを感じながら、この状態をどう自分が望む方向に整えるかを思案する。

その土台を作るものが「瞑想」であったり、誰の思惑も存在しない、「無」になれる時間だったりする。

どう生きるかは、今この瞬間から選べる。

僕はそう思います。

最後に

そもそも、昔は今ほど人の目が気になるような環境では無かっただろうし、みんな日々の食料や戦いの中で生き残る術を身につけることで手一杯。

そんな「死」と隣り合わせの環境だったからこそ、あらゆる種族がいる中で、さまざまな発明を繰り返し、今日まで発展を繰り返してきました。

それはもしかしたら、

「不安や焦りや恐怖」に基づくものだったかもしれませんが、少なくとも目の前に迫り来る”死”をどうやって回避していくか、“今”に集中していたように思います。

けれど、現代は命の危険もなく戦う必要もない。

まして日本においては、死ぬことの方が難しいという状況の中で、人々の余暇時間は増え、自然と「自分は何の為に生きているのか?」と自問できる時間が増えてきました。

だからこそ、

「不安、恐怖、焦り」の状態から抜け出して、より自分が心地良いと感じる状態で生きていくことができる。

“その手段を、知っているかどうか。”

“その感覚を、体験として得ているかどうか。”

これが何より大事なのだと思います。

迷いやすい世界だからこそ、改めて自分の内側と繋がる時間を1人1人が持ちながら、美しい生き方をしていきたい。そんな風に思います。

今日も最後まで、有難う☺️

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