旅するということ/外の世界・内の世界編

前編はこちら

https://sekadai.com/2021/12/02/【旅するということ-前編】/

さぁ、旅に出よう。

自分の人生に対する“違和感”に対して

好きなこと=限界まで心と身体を追い込む

×

得意なこと=誰もやらないことに情熱を燃やす

×

大事なこと=自分の成長、殻を破っていく

をテーマに色々な事にチャレンジしていく中で

その旅人とは、2往復する為に富士山に向かっていた道中に出会いました。

高校生ながら、たった1人でアフリカやインドや世界のあちこちを旅していて、話を聞けば聞くほどワクワクが止まらなかった。

小さな頃に抱いた想い。

「いつか広い世界をこの目で見てみたい。」

それを現実にしている人物が目の前にいる。その行動力に年齢差などは一切関係なく、尊敬の念を抱きました。

「自分も外の世界を見に行こう。」

25歳というタイミング。このチャンスを逃したら、次のチャンスはもっと先になる。踏み出すなら今しかない。この出会いを無駄にしてはいけない。そう、「直感」しました。

後先考えず思い切って、仕事を辞めました。全ての予定が突然無くなり、自分の人生が全て白紙になりました。

「さぁ、何しよう?」

それからの毎日は、それまでの毎日の何十倍も何百倍も濃いものになりました。

ハワイでホノルルマラソンを走る。香港からネパールまでヒッチハイクと陸路だけで横断。オーストラリアでファームジョブ。南米をバイクで駆けアワヤスカでぶっ飛ぶ。アメリカの自閉症サマーキャンプにカウンセラーとして参加。

それ以外にもここには書き切れないほど、訪れた国、出会った人、体験したこと全てが生まれて初めてで、日本では出来ない経験を沢山沢山しました。

目の前で起こる出来事一つ一つに頭も心も身体も常に開きっぱなしで、経験の全てが新鮮で刺激的で、僕の狭かった世界が一気に開けていくのを感じました。

そして何より、言葉もろくに通じない見ず知らずの自分に対して、優しく接してくれる人がいることや日本で感じていた常識やルールは全く通用しないこと。何をしようが、何もしなかろうが誰も気にも留めない。全て自分の責任であること。

旅を重ねるごとに

「自分のいる場所以外にも世界はある。」

「輝ける場所だってきっとある。」

そんな想いを抱くキッカケにもなりました。

外の世界への旅を終え、内なる旅へ

2017年の夏に仕事を辞めて旅を始めてから、

気付けば2年の月日が経っていました。

そして、2019年の夏に日本に帰国。

3つの選択肢を自分に用意します。

①インタープリターになる

②尊敬するライフコーチに弟子入り

③映像制作を仕事にする

色々と試行錯誤しながら、アクションを起こす中で現実的に進むことが出来たのは③だったこともあり、神奈川県の江ノ島のシェアハウスを拠点にしながら活動を始めました。

しかしこれまで、誰かと共同生活をするという経験がなかった僕はこの場所で初めて、”自分の内面”と向き合わされます。

そして、この経験がキッカケとなり本当の旅が始まりました。

それは、25歳の時に思い切って飛び出した外の世界での旅ではなく、生まれた時から今に至るまで、ずっと共に生きてきた自分の内側への旅。

苦悩の2年間が、幕を開けました。

自分には価値がない

半年ほど新宿の映像制作チームにお世話になっていたところ、コロナウィルスが大流行。

仕事が減っていく中で、これを機に「田舎で暮らしてみよう」と思うようになりました。

それから、smoutという移住サービスを利用して暮らす場所を決め2020年の春に移住。

しかし、今でこそ客観的に自分の内面を少しずつ理解し始めたところですが、僕の思考や行動には無自覚な決まったパターンがありました。

それは、自分が傷ついたり、嫌だ、不安だという自分にとって”陰”の感情を抱いた時に、目の前の状況から逃げ出したくなるということ。

向き合うべき事から逃げて、楽な方、楽な方を選んでしまう。自分の人生はそんな不安や恐怖という意識から生まれた思考や行動を基に作り上げられた人生でした。

突然ですが

【メンタルモデル】という本を知っていますか?

僕が自分の内面を理解する為に最初に手に取った本で、人間は生まれながらにして持っている”痛み”とどう向き合うか?ということが、いくつかのパターンを基に解説されている良書です。

ここには、いくつかの“痛みのモデル”が記されていて「価値なし」「愛なし」「欠陥欠損」「ひとりぼっち」と人は誰しもが、この4つのパターンのどれかに当てはまると説明されています。(※詳しい内容が知りたい方は、本書を読んでみて頂けたらと思います。)

細かい話は割愛しますが、僕は人との交流のない片田舎で1人自分と向き合い続けていました。

しかし、いつも「誰かに嫌われる」「関係を失ってしまう」「自分はダメな人間で価値が無い」という”思い込み”を捨てることが出来ず、不安や恐怖の意識から思考や行動を起こすことがやめられない自分をまた責める、、、という無限ループを繰り返していました。

自分を認める

そんな無限ループを、時間の経過と共に少しずつ少しずつ客観的に見れるようになってきたのは今年に入ってから。

特に去年の年末年始は、冬の寒さと人恋しさに心が折れ人生の中で最もしんどかったと言っても過言ではない期間でした。

しかし、そんな僕の状況を知ってか知らずか、何人かの人達がオンライン上で話を聞いてくれたり、どうやって無限ループから抜け出すかを一緒に考えサポートしてくれました。

しかし、それでもすぐには自分の意識を変えることは出来ず、何人かのコーチに継続的に相談したり、コーチング系の塾に参加したり、「瞑想」と出会い自分の感情を客観的に見るトレーニングを始めてから、少しずつ少しずつ「自分は自分のままでも良いのかもしれない。」と思えるようになってきました。

何か大きなキッカケがあったのかと言われれば、「徹底的に堕落したこと」が挙げられます。

僕自身、心のどこかで「自分は本当は〇〇なんだ」とありのままの自分を心の底では認めていませんでした。

「出来ない」ということが認められない。

そんな呪縛に取り憑かれ続けていた僕は、何度も自分に期待しては、失敗して落ち込む。というパターンをこれまた繰り返し続けていたのですが、

ある時、もう何もかもする気力が無くなって、朝から夜まで寝まくって、お菓子もジュースも飲み放題。Netflixやprime videoをダラダラと見続け、夜が明ける頃に眠りにつく。

そんな生活を続けていた時、「あぁ、なんか出来ない自分も出来ないでいいか」と突然、腑に落ちてきました。

また、それまで人の目だったりが気になっていたのも田舎での交流の少なさや自分にとって不要な情報をキャッチするのを辞めてから、少しずつ少しずつ「何事も自分で決めて、自分で創っていくしかないんだな」と半分諦めのような気持ちで、自分を認め受け入れるキッカケを掴みました。

最後に

詳しく書こうと思えばいくらでも書けるのですが、あまりに長く重い話になると思うので、今日はこのへんで終わりにします。(笑)

外側の冒険から帰ってきた後、自分は何者かになれるものだと期待していた僕ですが、現実はそんなに甘いものではなく。

自分の内面世界に踏み込んで初めて、”自分は何者でもなく、それはこれからの自分次第で創り出していけるのだ”という事に気付きました。

内なる旅には、外の世界を旅した時の新鮮さや刺激とは違い、受け入れたくない自分の”弱さ”であったり、期待とは裏腹な自分の存在に目を背けたくなるようなことが多く起こります。

また、誰しもがこんな風に考えすぎるという訳でもなく、すぐに”痛み”を乗り越えて軽やかに進んでいける人もいれば、いつまで経っても”痛み”から逃げるばかりで、いつしか無自覚なパターンを受け入れて、本当の自分に出会う前に命を終える人もいるでしょう。

ここまで読んでくれた方がいたとしたら、それはもしかしたら何かの「サイン」かもしれません。

もし、何か力になれることが有れば気軽に僕の方まで連絡をくれたら嬉しいです☺️

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