時盛の自己紹介

はじめに

 こんにちは、セカダイも残すところあと1ヶ月を切り、この時期ならではの忙しく過ぎゆく世間の動きを肌身に感じつつも僅かな淋しさを愉しみながら日々過ごしている今日この頃。
今、私は入学当初から書き綴ろうと思っていたブログを書くべく、私の中に居座り続けた悪玉を打ち散らした所。
9月、たびるでベトナムへ訪れた。3日目のニンビンへ向かうバスの中、私は校長指導を受けた。「とっきー、ブログ、書いてね。」MaSaTo校長は優しく注意してくれた。
その後、「はい!自己紹介からしますね!!」といったあの瞬間が懐かしくすら感じてしまう年の瀬に1本目の自己紹介ブログを書き始めるのであった。

気になるところや、掘り下げたいことがあればSlackのスレッドにでも是非。

基本情報とトキメキワード

・2002年7月9日千葉県旭市に産まれる。
・小・中・高校は地元の学校に通い、今は東京都の三鷹市に在住。
・趣味は音楽とボランティア活動。
・アウトドア派だと思っているが、得意分野はインドアばかり。
・座右の銘は「人生万事研修」。
・行ってみたい国はフランス。
・世の中のほとんどの事が一般常識だと思っている。
・おばあちゃんの名前は「利江(としえ)」→ふうちゃんリクエスト(覚えてる?)
・セカダイとの出会いは、世界一周学校のメンバーだった人に紹介されて!

ときめきワード

キャンプ,子ども,吹奏楽,オーケストラ,トロンボーン,コントラバス,ピアノ,お囃子,祭,神輿,釣り,レクリエーション,政治,料理,社会教育,子ども会,ボランティア,ゲーム,イベント企画,リーダー育成,旅行,散歩,文房具,千葉
→どれも大体コレクター癖が同時に発動。

何か気になる事や趣味の話が出来そうな人は声かけてください〜!

幼児期

 幼児期は知育玩具が好きで、パズル(ジグソーパズルや日本列島のパズル),タングラム,プラレールなどでよく遊んだ。とりわけ好きだったのが仕掛け絵本。その他にも国旗を覚えたり、粘土で遊ぶのが好きだった。あの頃から絵を描くのは嫌いだった。
幼稚園の頃から中学生位までの夢は「指揮者」だ。ポディウムに立ち、ホール全ての空間を操っているように感じ、今でも私の憧れの的であり続けている。
その頃から習い事でピアノも始めた。同時に水泳もやっていた(4泳法泳げるくらいで辞めた)。
ピアノは毎日の練習が苦痛で音楽は好きなのにピアノの前にじっと座り続けることが辛くて、約7年続けていたが大した成長は無く辞めてしまった。
次項、そんな幼児期を過ごしていたとっきー少年が小学生になる。

クラスのいじられキャラ

 小学校入学後、私は周りの級友を見下していた。ここにいる日本語の通じない人達と一緒にやっていくなんて億劫だなと感じていたのだ。
小学校2年生までは絵に描いたような大人しい子でませガキ。子供扱いしてくる大人が一番嫌いだった。でも、今では子どもらしい子を見ると「自分もこんな素直な子供時代を過ごせたらなぁ。」なんて羨望の眼差しを向けることもしばしば。
そんな中初めての転機を迎える、3年生で迎えたクラス替え。今のスタイルを確立する。
うるさいクラスの中心人物へと変わっていった。
高学年からは、学校の吹奏楽部でトロンボーンを始めたが、ピアノの時の苦痛をもう一度味わう事は無く楽しんで高校まで続けた。
次項、中学生時盛。

素行不良中学生がボランティアに出会う。

 中学生の頃は素行不良により、多方面に迷惑をかけた。週に5日の平日のうち5回以上生徒指導をされるほど。内容は気になる人聞いてください。
でも、それと並行してボランティア活動にも励んでいた。
今でも続けている小学生に対してレクリエーションを企画・運営したり、そのためのスキルを磨くために研修に足を運んだり。
小学校5年生で出会った団体だったが、本格的に運営に回るのは中学1年生から。
単純に人を喜ばせることが好きだった。自分のスキルが身についてるのを実感するのが嬉しかった。ただそれだけで10年続けるなんてこの時にはまだ知らない。
ボランティア活動、所属していた吹奏楽部、学業はサボり気味、ゲーセン通い。こんな中学生活を送っていた。
次項、暗黒の高校生

戻りたくない高校

 高校は、一言で言うと「落ちこぼれ」を体現した3年間だった。
入ったのは理数科。元から大学は経済学部と決めていたが理数科の道を選択した。ちなみに高校は「匝瑳高校」。読める人居るかな?
成績上位で入学したが、出るときは真逆。毎年出席の関係で留年ギリギリで、中学とはまた別の理由で先生方には沢山お世話になった。
定期考査では、答案用紙に名前くらい書きなさいと言われるほど酷い学生だった。
しかし、宿命的にやってくるのが進路選択。結果、大学に通う事になったが、受験勉強はおろか高校に入ってから初めて勉強というものに取り掛かったのが3年の夏。
3年間で半年だけしか勉強しなかったのは今では心残り。
でもそれも自分にとっては必要な時間だったと自らを無理矢理納得させている。
それでも、小学生から関わっていた社会教育系のボランティアなどはやめる事なく続けていた。それもいつの間にか県の組織から表彰される程続けており、何事も上手く続かない自分にとって音楽,ボランティア、この二つが自分の人生の軸へと変化していっているのを実感し始めた時期でもあったのだ。

現在、みんなの知っているとっきーへ

現在の私とこれからの私

今の私は、冒頭の基本情報とトキメキワードに書いた通り。
でも、自分の知らない自分を組み込んだアップデートした自己紹介を今後していきたいと思う。
そのために「自らが知らない私」(時盛が知らない時盛)というものを読者の皆様にはスレッドに沢山書いて欲しいと思っている。あまり難しく考えずに客観的に見た私を教えてほしい。
そして、もう一つのお願いが「皆さんが没頭している事」についてだ。これからセカダイ2期が幕を下ろしてからも月に一度、セカダイ生の好きなことに触れる時間を取ろうと思う。これも併せて教えてほしい。
是非、この2点をどうかお願いしたい。

最後まで、拙い文章を読んでくれた皆さんありがとう。最後のたびる、大阪でより自分の大好きなセカダイ2期のメンバーと濃い時間を過ごすため、少しだけ自分の事を書いてみました。これからも、残り僅かな残された時間だが、記憶と感動をブログに記録していきたい。

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