教育者⊃教師

後藤新平は言った。

金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残す一流

と。

そして、あつしは続けて言った。

人格者を生むのは、教師ではない。

一流である

と。

教育者=一流

簡単に、

一流

とまとめることは難しい。

それほどまでに、世界には多くの一流がいる。

スポーツ・料理・ゲーム・知識・テクニック・仕事・制作・見極める・マネジメント・経営etc…

これらの要素も、至ってバラバラなもので体系的に重なるものも多く、複雑である。

それぞれの要素に一流と言われる人は存在する。

それぞれの一流は、飛び抜けた専門性を持つ。

一例を挙げれば、トップYouTuber”HIKAKIN”

彼はYouTubeという業界で専門的な知識を持ち、

“自分のやりたいことを実現する”という専門性も持つ。

多くの子供たちは、その専門性に惹かれて

気づけば、一時期

なりたい職業一位をYoutuberとした。

人は、一流の専門性に惹かれて

一流のようになりたいと思う。

教師の持つ専門性とは

教師は、仕事として

公教育の現場で子供達に学びを与えている。

教員免許によって、豊富な知識と指導スキルの二つの専門性が認められている。

教師は、教員免許という専門性のもとに

教育者として教育を行う。

教育者になるためには、教員免許が必要?

ここからは自分の偏った意見になる。

自分は全くそうは思わない。

教員免許が保障しているものは、

あくまでも公教育の現場で、”教師”として子供たちに学びを与えられる権利。

教育者に教員免許が必要であれば、

多くの人は子供を作ることを断念するだろう。

あくまでも、教育の現場は公教育だけではないということ。

家庭・遊び・休日・1人の時間

全ての時間、人は教育の元、成長している。

子供に限らず。

誰だって、”一流”であればどこでだって教育をしても良い。

公教育の現場は、聖域?

自分は全くそうは思わない。

教員免許を持たなくとも、”一流”であれば誰だってどこでだって教育をしても良いと考えているから。

人は、一流にしか育てられない。

身の回りに、必ず一流がいるとは限らない。

そうであるなら、教育機関である学校は

教員免許を持たない”一流”が現場に入ることを許し、また呼ぶべきである。

子供達の健やかな成長を望むのであれば。

子供に対する関係人口を増やし、豊富な選択肢を提案してあげることこそ教育において必要なことである。

そして、子供の見つけた専門性を存分に伸ばせる環境づくりこそ

教育

であると考える。

最後に

なんでこれを書こうかと思ったのか。

それは、

今日の午後熊本のとある小学校の”総合的な学習の時間”2コマに外部講師として

授業をしに行くことになったからである。

熊本の中でも、公教育の現場は変化しはじめ

子供に対する関係人口を増やす取り組みがなされている。

自分は、”一流”であるという自負を持って子供達と楽しく対話してきます☺️

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