無  の世界

私が伝えたいこと。

それは、無の世界で生きることが幸せであること。

無とは、0。無意識のこと。思考を介さないこと。

いつだって、素直に生きたいということ。

私は昨日、猛省をしました。

“人を自分の好きなように、コントロールしようとしました。”

自分の意識の世界に、無理やり人を巻き込むために

僕が1番嫌いな 同調圧力

で物事を解決しようとした。

巻き込んだコミュニティの皆さん。

心から謝らせていただきます。

ごめんなさい。私に無理やり巻き込んで。

昨日本気で疲れて、思考が止まったこと

を本気で嬉しく思っています。

永遠に思考を続かせていく中で

世界はどんどん狭く、

時間のスパン・価値観・正しさ

の範囲が驚くほど狭くなっていました。

極限まで狭くなったとき、

僕の思考は止まりました。

そして、後悔の念で溢れました。

たろうさんに瞑想を手伝っていただいた。

そして、わかったこと。

それは、私の描く美しい世界に人を詰め込もうとして

多くの人を苦しい世界に閉じ込めたこと。

私を苦しめた世界のこと。

私は自分の手で

自分を苦しめた世界を作ろうとしていた。

なぜか。

それは、自分の世界には自分1人しかいなかった。

周りにも、自分の中にも。

誰も俯瞰していなかった。

いつもいる僕のことを俯瞰視する”哀れむ僕”も。

自分の美しい世界で、足元を見れなくなっていた。

足元という考え方をしていた。

僕のことを幸せに導いた大切な人のいる環境を

足元だと思っていた。

久しぶりに4時間以上寝て、脳が覚醒して気がついたこと。

それは、自分がとても哀れな存在だったこと。

自分が思う哀れな社会の哀れな人間だったこと。

横の目線にいる人が誰もいない。

利害だけで成り立つ社会。

伴走者が1人もいない世界。

誰1人として、対話できる人がいない世界。

こんな私の描くクソを私は必死で作ってた。

もうやめてしまおう。

何もかも。

考えることも。勉強することも。必死になることも。頑張ることも。努力することも。

全部一回0に戻そう。

0からできた0の世界に。

無意識の中で生まれた幸せの世界に。

全て感情のままに

素直に

やりたいことを

全力で

やろう。

その結果、生まれる形を想像するのももうやめよう。

幸せな今を生きる自分を”喜ぶ自分”

がいる世界を。

幸せな今を生きるみんな・社会を”喜ぶ自分”

がいる世界を。

無  の世界で。

0歳児のように、感情のままに。

みんな0歳児のままで

利害のいらない

横に並んで

伴走して

対話できる世界に。

永遠に0歳時の世界で

0を楽しむ。

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