たろうです☺️
2021年も、残すところ3週間。
年の終わりが近づいてくると、今年一年を振り返りながら、新しい年に向けて
「何を手放して、何を残すのか?」
「何をやめて、何を続けるのか?」
無意識に感じている人もいるような気がします。
僕もその1人なんですが、
今回は「手放すこと、やめること」をテーマにブログを書いていきたいと思います。
皆さんの生き方の一助になれば幸いです。
目次
なぜ?
現代の日本では、
ヒト、モノ、コトの全てがそこかしこに溢れ返り、人間関係に悩んだり、増えすぎた持ち物や新しく出る商品に悩んだり、色々な情報に晒され数多ある選択肢に悩んでいます。
僕自身、東京という大都会に生まれ育ち
どうすればヒトと仲良くなれるのか?に悩み、
気付けば部屋はモノで溢れ、不安や不満から本当に食べたいモノではないモノを口にし、
学校が言うコト、社会が言うコト、家族が言うコト、友達が言うこと、どれが正しいのか分からず迷走を続けてきました。
技術の進歩によって、たくさんの便利を享受出来る様になった一方で、「自分自身の意志」のようなものはどんどん見えづらい世界になってしまっている。そんな気がしています。
そんな中、最近は近藤麻理恵さん(こんまりさん)の「片付けメソッド」が大流行したり、作家のやましたひでこさんが提唱した「断捨離」という言葉があちこちで言われるようになって
誰しもが、飽和状態の世界を憂いて
「自分が本当に大切にしたいヒト、モノ、コト」と向き合うようになりました。
コロナウィルスの流行で更にその流れは加速し、「丁寧な暮らし」や「ミニマリスト」という言葉も流行り出しています。
手放すこと、やめることの意味
そもそも「手放す」「やめる」という行為が必要なのは何故でしょうか?
武道の修練などでは良く、「守破離」という言葉が使われます。
=
守・・・とにかく基本を徹底する
破・・・自分に合った方法を探す
離・・・何にも囚われず、自ら創り出していく
=
こんな意味合いで使われているのだと理解しているのですが、人間関係やモノやコトとの付き合い方にも同じことが言えるような気がします。
「あれも大事、これも大事」
「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」
「あれもないと、これもないと」
こんな思考がヒト、モノ、コトと関わる時に生じ、いつしか何が大切なのか見えなくなる。
そんな不安や不満からくる感情を手放してみる。
必要がないと思う習慣や行為をやめてみる。
そうすることで、今までなかった「余白」が心にも物理的な空間にも時間にも現れてくる。
この余白が心のゆとり(余裕)に繋がり、視野が広くなり、今まで見えなかったものが見えるようになる。
だからこそ、
不必要な人間関係や物や情報をあえて、シャットダウンしていくことで「本当に自分が大切なヒト、モノ、コトが見えてくる」ように思います。
どうやって?
では、どうやって手放すこと、やめることを実践していくのか??
これは僕が実践する方法でしかありませんが、
=
①自分を知る。
②ヒト、モノ、コトに触れる中で、自分が抱く感情を客観的に観察する。
③胸に手を当てて、「どうしたいか?」を聴く
=
この3つだけです。
①自己理解を深める。
=
自分が何が好きで、何が嫌いなのか?
自分が大切にしたい価値観はなんなのか?
自分が創りたい、いきたい世界ほどんなものか?
その為に、今どうしたいのか?
=
とにかく、過ぎ去っていく日々の中で
しっかりと自分と向き合う時間をつくること。
これは僕の経験でしかありませんが、
何かをしながら自分と向き合うというのは正直難しいと思っています。
仕事で疲れていたり、何か考え事をしている状態のまま自分と向き合おうとしても深くまで潜ることは出来ません。
なぜなら、自分と向き合うことで
見たくない現実や自分の面にも目を向けなければならないし、そこには大きなエネルギーを使うので、片手間で出来るようなものではないと思ってます。
そして、
=
出来るなら1人でやること。
頭で考えて終わりにせず、書き出すこと。
ダラダラと引き伸ばさず、短期決戦。
=
初めたばかりの時は、誰かと一緒に考えたりするのも良いと思います。
でも、自分の人生を生きれるのは結局のところ、自分ただ1人しかいないので、最後は一対一で向き合う中で”答え”を出していくしかありません。
また、頭で漠然と考えて終わりにせず、紙に書き出すことで客観的に認識することも大事。
そして、人の感情や思考や価値観でさえ、毎日ずっと同じで変わらないということはないので、「今の自分はどうなのか?」という短期的な視点で向き合うことも大事です。(一回やったらハイ終わりという訳でもないのですが、節目節目のタイミングでは深く向き合うことが大切です。)
そうすることで、より奥深くに自分への理解が刻まれるようになります。
僕はこれがとても苦手で、シンドくて無意識に避けてきた結果、自分が何を大切にしたいのかが分からず、ずっとずっと迷走を続けてきました。
②客観的に観察する
ある程度、自分のことを理解できたら
次に生活の中で実際に自分がどう感じているのかを見ていきます。
「瞑想」を用いるのもいいし、ふと何かしらの感情が湧き上がってきた時、目を瞑って「あ、今自分はこんな風に感じているんだな」と客観的に観察していくことで、
頭で考え出した“答え(自己理解)”が本当に自分にとって正しいのかの答え合わせをしていく。
また、どんな感情も否定せずに
「自分はこんなことを感じていたんだなぁ」
と、ただ“在る(存在している)”ことを認める。
また合わせて、
「その感情や思考は、過去/現在/未来のどこから来ているのか?」
を見ていくことで感情の”発生源”に気づき、
③の「どうしたいか?」という自分の本当の願いと繋がっていくことになります。
③「どうしたい?」
自分という存在の“答え”を過去から導き出し、
実際に一つ一つの感情を客観的に観察することで、”答え合わせ”をして、
改めて、自分が本当に求めている“願い”に繋がっていく。
ここまで来たら、あとは
=
どうしたいの?
=
と胸に手を当てて聴くだけです。
そして、その声に従ってトライ&エラーを繰り返しながら、一つ一つの結果を腑に落としていく。
そんな”実験”を何度も何度も繰り返していくことで、自分が本当に求める”答え”に近づいていく。
また、「どうしたい?」を聴く時は
自己理解をする中で気づいた
「自分はどんな世界を創り出したいのか?」
「どんな世界で生きていきたいのか?」
という“方向性”も意識した上で問いかけることをオススメします。
もちろん目指したい方向も、少しずつ少しずつ形が変わっていくので、定期的に自分と会話する機会を設けながら、日々の問いかけを行なっていくことが大切です。
手放し、やめることで道は開ける。
偉そうなことをたくさん書いてきたけれど、たろうもまだまだ道の途中です。
というより、ようやく“内側の自分”と繋がって歩き始めたように思っています。
それまでは、「〇〇すべき、〇〇でなければ」と思い、それができない自分をひたすら責めて、自分は価値がないと思い込んできました。
でも、
それは“事実”なのか?
それとも自分の“勝手な解釈”なのか?
を見ていったときに
ほとんどの事が自分の思い込みでしかないことに気付きました。ただ、気付いただけなので完全にその思考を手放せたか?と聞かれれば
まだまだ精進が必要なのだと思います。
=
「人からどう見られるか?」という視点。
「嫌われたらどうしよう、失ったらどうしよう」という不安。
「あれがないと、これがないと」という思い込み。
=
その一つ一つと付き合いながら、
少しずつ少しずつ、自分が歩きたい道を歩けるように準備を進めています。
でも、確実に以前より前に進み始めている実感が在るからこそ、皆さんにもシェアしたいと思いブログに書きました。
もし、一人じゃ難しいと思っている方がいたら、僕でよければ声をかけてください。
今もまだ、たくさんたくさん遠回りして、迷走しているからこそ、何かお手伝いが出来るかもしれません。
依存と執着の世界から解き放たれて、
本当の意味で自由になる(自分に由る)ことを目指して進んでいきましょう。
今日も、読んで頂き有り難うございました。
コメントを残す