ダブルスタンダードのない世の中へ

僕は、”当たり前“が嫌いだ。

当たり前の中には、自分・誰かの求める幸せである原点が含まれていないことが多々あるからである。

詳しい内容が知りたい人は、下の記事を

ダブルスタンダードとは

ダブルスタンダード意味

複数の人・集団に対して不当な区別を立て、 異なる基準を適用すること。 二重基準、二重標準。 代表的なは男女に異なる性道徳を適用すること(たとえば、男性の婚前交渉は非難されないが、 女性の場合は非難されるなど)。 「それはダブルスタンダードだ」というのは通常、人を非難するのに使われる。2000/01/28http://plaza.umin.ac.jp › wordbook

らしいです。

つまり、僕が意訳すると

目的で

人によっては自分・誰かの幸せを求めていないのに、

実務として

自分・誰かの幸せが求めていることだと強要している状態を指す。

そして”当たり前”の多くは、このダブルスタンダードの状態にある。

それって結局どういう状態?

ここではあくまで自分が変えたい教育の現場にスポットライトを当てて話してみる。

勉強を強いる、学校に通うように強要するが自分の求める目標・理由がない

完璧を強要してくるが、教室でしか教えてないことでは完璧にできない

主体性のある子・伸び伸びしてほしいと言いながら、自由奔放に生きることを縛る

などがあると思います。

ただこれは当たり前なのです。

じゃあなぜそれが当たり前なのか…。

なんでダブルスタンダードが当たり前なの?

これは至って単純な話です。

目的である原点に、自分・誰かの幸せがない状態で教育しようとしているからです。

私は炎上覚悟で言います。

公教育の目的は

“20数年後に社会に出て、経済社会の中で国の利益を最大化する人材を増やすため”

そうであると考えています。

個人的に

このような人材は、工場で作られた量産型ロボットと同じような存在である

そう考えています。

この目的に共感して、本気で勉強できる人間がいるほど日本という国は信頼を得ているのでしょうか?

きっとそうではないから、ダブルスタンダードはあるんだと思います。

そうして、その在り方に苦しんだ子供達・大人は不登校・自殺といった形でしか世の中に救いを求めることはできないのです。

これが私たちの生きている世の中の当たり前です。私たちは隠された”目的”の中で必死に生きることを強要されるしかないのでしょうか?

時代は逆行する

そんなことはないと自分は考えています。人はそんなに単純ではないです。辛くなったら、深掘りして何のために生きているのか、なぜ今働いているのか考えます。

そして、時代は逆行します。

0から全て作るようになるのです。

3・4次産業ではなく、1・2次産業を求めるようになる。

リタイアして農業を始める方が多くいる実情にはそう言った傾向があるはずです。

これからは小学校なんなら幼稚園から時代に逆行した教育が行われるようになるだろう。

自分はそう仕向けていくだろう。

そうして全てを0から作ればいい。

そうすれば、いつでも自分・誰かの幸せのもとに生き続けられるのだから。

ダブルスタンダードのない世の中へ

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