スーパービーバーで、高速で号泣した話

↑大学に入ってすぐの診断で分かったこと

それは私が社会不適合者であること

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音楽聴いてて、初めて号泣した。

きっとコーチングやら瞑想を始めたからだ。

僕は鬱病なのかもしれない。いや、号泣できるまでずっと鬱病だったのかもしれない。

違う精神病なのかもしれない。

社会にとって、毒なのかもしれない。

そんな事で悩んでいた。

ただ、そんなことはどうでもいい。

社会は毒なのだから。

自分はずっと1人だったことに最近気がついた。

ずっと、分からないこと・悩んでいること・本当にやりたいことに蓋をしていたことに気がついた。

1人だったからではない。

社会規範が、僕を1人にして蓋をさせていたんだと思う。

僕は最近よく泣く。

大学に入って初めてちゃんと泣いた。

初めては瞑想。

この時自分の新しい一面を知った。僕は思考を止めることができない。

一度考え始めたら、ロジックが成り立つまで考える。

瞑想とは、思考を手放すこと。そのためにまず思考を吐き出す。

思考を手放す方法として、ジャーナリングをした。

そこのテーマは、”対人関係での悩み”

考えたこともなかったテーマは、僕を苦しませて号泣させた。

紙は残ってなかったが最後に

あった。

“僕を自由にさせてくれ”

と書いたことははっきりと覚えている。

そこで知った。

僕は対人関係で悩んでいると。

だからといって、仲の悪い人や嫌いな人がいるわけではない。

そこで気づいた。

僕には誰1人として好きな人がいないことに。

ずっと1人でしか行動できなかったのは、誰一人として信頼していなかったから。

僕は義務教育が大嫌いだ。

教師も友達もPTAも。

宗教を入れない教育の現場は、完全に宗教だった。

僕はずっと自分の幸せを探していた。

だから、義務教育が嫌いになって、対人関係が嫌いになって、当たり前が嫌いになった

逆に、1人は好きで、ゲームは好きで、お金が好きで、異性が好きで、人が怒ることも一部好きだった

だから僕はずっと思っていた。

自分は社会にとって毒だ

と。

最近までずっと。

だから、

自分の病気を心配したし、自殺も考えたし、社会が幸せになる方法を

必死で考えた。

これを一人で考え続ける限り、僕の幸せはなかった。

根本的に何も解決できていないから。

僕は社会を幸せにしたいという気持ちはあっても

手段や方法を知らなかった。誰も与えてはくれなかった。

やっと、社会を幸せにする方法を知った。

新しい環境が僕に教えてくれた。

それは、自分が幸せになること。

つまり、

社会を幸せにするために、

僕を毒呼ばわりする社会を、

毒だと思うことにした。

そうすることで、僕は幸せになれた。

そして、毒の中で同じ苦しみを持つ人が多くいる事を知った。

ぼくは、そんな人が幸せになる方法を知っている。

だからそんな人が、幸せになるために

応援することにした。

応援することは、僕を幸せにした。

最後に僕の立ち上げたコミュニティを紹介する。

毒のない環境を作るために考えた。

誰でも入れるので、ぜひ覗いて欲しい。

オープンチャット「ダンデ 応援するコミュニティ」

https://is.gd/dfWIlU

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