僕には、小学校の頃から変わらずに抱えている一つの揺るがない信念がある。
お金持ちになりたい。
自分は、幸せへの選択肢を最大化できる方法として”お金を持っている”ことは欠かせないポイントだと感じているからだ。
ただ、人にそれを話すと周りは決まって言ってくる。
いやらしいな。もっと立派な夢を持とうよ。と
そうやって僕の信念は、よく鼻で笑われる。僕はあくまで”幸せ”というものが欲しくて
手段として”お金持ち”になりたいだけなのに。
ただ、世の中は一部を切り取って”お金持ちになりたい”と言った途端に
“お金持ちは、いやらしい。”
となる。性行為だってそうだ。
この世の中での当たり前がなぜそうなのか
今回は考えてみる。
目次
なぜ、いやらしいと人は言うのか
なぜ、人はお金・性行為のことをいやらしいと言うのか。
それを知るために必要なこととして、
いやらしい⇆素晴らしい
という関係について知る必要がある。
じゃあ一般的に素晴らしいこととは何か。
・みんなのことを思いやれる人
・コツコツと努力できる人
・行政でお国のために働く人、通称公務員
・大手企業で一流の仕事をする人
パッとこんなものが思いつく。
そして、これを反対の意味にすればいやらしいの意味を知ることができる。
・自分のために生きる人
・リスクを負って効率的に大きな利益を求める人
・公務員でも、大手企業でもない現場で働く人
ここでは、否定ではなく反対の意味に直すと、
社会の規範を破り、道徳やモラルを欠くような現場で働く人
このような人がいやらしいとなると仮定しよう。
じゃあ、お金・性行為はどこがいやらしいの?
ここで、
“お金持ちになりたい人”、”性行為がしたい人”
がどの要素に当てはまっているかを考えてみる。
ん?当てはまる要素がない?
自分には見つけられない。
その時にお金・性行為がいやらしいとなるようなものを選ぶとするなら、3番目の項目
・社会の規範を破り、道徳やモラルの欠くようなモノ・現場で働く人
ここに、絡んでくる気がする。
“道徳やモラルを欠くようなモノ・現場”
≠”お金・性行為”
なのは、みんな肌感覚で分かるだろう。
いやらしいのは、社会の規範を破ること
ここで分かるのは、そういうことだろう。
結局は、お金持ち・性行為をする
手段・目的
に社会規範が当てはまらなかったときに初めてそれらは、いやらしくなる。
なら人は聞くべきである。
“お金持ちになりたい”、”性行為をしたい”
という人に対して
“なんで?どうやって?”
と。
ただ多くの人はそれを聞かずに決まって即座にいやらしいと言う。
多くの人は、それらの言葉を聞いた瞬間に思考をシャットダウンする。聞く耳を持たなくなる。
人は、気づかないうちに本質を見落として偏見の目で人を見る。
偏見の目で人を見ることこそ、道徳・モラルを欠くモノ・現場であって
いやらしいことなのではないだろうか?
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